教室を出て右を見ると、廊下はすでに数人の女子生徒で賑わっていた。露骨な美鶴のため息も、彼女達には聞こえない。ただ一心に誰かを見つめながら、ときおり奇声のような歓声をあげている。
美鶴はもう一度ため息をつくと左を見た。やはりそちらも女子生徒の山。しばらくその様子を見ながら思案したが、やがて右の道を行くことにした。特に理由はない。
「山脇くーん」
彼女達のお目当ては、新学期に転入してきた山脇という男子生徒。どこかの外国人との混血らしく、昨年までアメリカだかイギリスだかで暮らしていたらしい。その生い立ちと整った顔立ちが女子生徒に大ウケして、人気は他学年にまで広まっている。調べたワケでもないのに知っているのは、周囲の女子生徒の連日の話題がそれ一色だからだ。いや、一色というワケではない・・・か。
美鶴はチラリと背後を振り返る。
彼女が選ばなかった、つまり教室を出て左側に集まっている生徒達。彼女達の目的はまた別の男子生徒。この生徒も四月からの転入生で、これまた女子生徒の心をガッチリと掴んで話題に上っている。名前はたしか金本と言ったはずだ。素性は知らない。知りたいとも思わない。
同じ時期に同じ学年に転入生が二人というだけでも珍しいのに、そのうえどちらも男性としての類稀なる(らしい)魅力を持ち合わせている。単調な学校生活に多少飽きを感じていた生徒たち、特に女子生徒たちにしてみれば、飛びつきたくなるような事件だ。
一目でいい。その姿を見てみたい。そんな乙女心をときめかせた女子生徒が、連日教室の前で、その姿を追いかけるようになった。新学期が始まって三週間が経とうとしている今でも、その数は減らない。
くだらない
美鶴にとって、この騒ぎはバカげているとしか思えなかった。たかだか男の一人や二人くらいでギャーギャー騒ぐなんて、時間の無駄としか思えなかった。だが、美鶴には関係のないこと。誰が何に騒ごうと、美鶴には何の関わりあいもないこと。ただ遠くから冷ややかにその様子を眺めていればよいのだと、思っていた。そのはずだったのだが・・・
美鶴は人ごみを前に、三度ため息をついた。この中を通り抜けなければ廊下の向こうへは行けない。この騒ぎは連日のことなので、いつもなら授業が終わると同時に教室を出るのだが、今日は担任に呼び止められてしまった。完全に出遅れたとしか言いようがない。同じくタイミングを逃してしまった男子生徒たちは、もう諦めたかのようにうんざりと、教室で騒ぎがおさまるのを待っている。
美鶴もそうすべきなのかもしれない。だが、女子生徒の勢いに押されて教室でコソコソと嵐が去るのを待っている男子生徒たちと長時間を過ごすのは、美鶴には我慢できなかった。教室を出るタイミングを逃した、そんな要領の悪い連中と一緒にはいたくない。
私は、あんな低レベルな人間ではない
美鶴は、意を決して人ごみに飛び込んだ。遠慮もせずに身体を押し退けるが、ほとんどが目当ての生徒に釘付けで、こちらには気づかない。背中で一つに束ねた髪が人ごみに挟まって、なかなか前へも進めない。一部の生徒が気づいて嫌悪感露わな視線で睨んでくるが、美鶴は平然と無視をした。
美鶴の所属する二年三組の右でも左でも、休み時間や放課後のたびにこのような騒ぎがおきる。それは、一人は隣の二組に、もう一人が反対の四組に転入してきたからなのだ。
「どうして三組を飛び越すワケ!」
二組や四組の女子生徒の歓喜を聞きながら、三組の女子は唇を噛んだ。
「あっ! あっ! 出てくる!」
ひときわ大きな歓声が起きて、人ごみがゴソリと動き出す。もう少しで抜け出ることができるのに、集団の大きなうねりが美鶴を飲み込もうとする。
バカどもがっ!
鞄を胸に抱えて強引に抜け出ようと両脇の人物を押し返した。そのとき・・・
「っ!」
息苦しさで声も出せず、そのまま身体がバランスを崩す。重心の傾く方を支えようとするが、両足が誰かの足に捉えられて抜け出すことができない。
足が・・・!
両手で鞄を抱えていたため、とっさに手を出すこともできず、そのまま肩から床へと転倒した。
頭への衝撃は逃れたものの、それなりの音がしたのだろう。周囲の生徒の動きが止まり、冷たい空気が流れるのを感じた。
倒れる瞬間に思わず目を閉じたが、美鶴にはその雰囲気を肌で感じることができた。
今かもしれない
肩に鈍痛を感じたが、それよりもこの集団から抜け出ることが、今の美鶴には何よりも重要だった。
集団が、また活気づく前に
そう思った途端、パチリと両目を開くとともに両手を床について半身を起こした。
そして・・・、そのまま固まった。
大きく見開かれた瞳は黒く、日本人にしては少し彫りが深い。円らな瞳とはこのことを言うのだろうか? だが一目で男性だとわかるのは、強くはっきりとした眉のせいだろう。同じく真っ黒な前髪はさらりと流れ、窓からの午後の陽射しを浴びて、心地よく輝いている。引き締まった顎の上で、形の良い唇がゆっくりと動いた。
「大丈夫?」
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